結婚=幸せならば、わたしにとっての幸せとは

「お前、結婚できねーぞ?」

なんで、結婚したいとも言ってないのにそんなこと言われなきゃいけないんだろうと思った。

言わなくとも人類は、人類が結婚したいと思っていると思っているんだろうな。

わたしは言いたくなかったが、言うしかなくなって、

「別に結婚したいと思ってないんだよね、今は。」

と言った。

これを言う度、「あーそういうタイプの人ね。」という顔をされるし、今回も相手はそういう顔をしていた。

付き合ってる人の話になったときも、聞いているだけならいいけれど、話を振られるかもしれないと思うと、聞きながら笑顔が引きつってしまう。

わたし自身は誰かと付き合いたいと思っていなくても、世間がそれを許してくれない。

だから、「付き合ってる人はいないよ。」と言うと「作らないの?」と言われるんだと思ってる。

「付き合ってる人はいない。付き合いたい人もいない。」と言ったときの、それを聞いた相手の、何かを察したような目が嫌い。

その瞬間に相手の中で、わたしを自分より下にランク付けしたのがわかる。

わたしが幸せじゃないみたいな、いずれわかるよ、みたいな目をして。

 

自分の幸せのものさしを相手に当てることでしか相手の幸せを計れないなんて視野が狭すぎるし、そのものさしだって誰かが作ったものかもしれないのに自分のものだって疑わないのね。

 

それが悔しかったのか、異性を意識してみたこともあったけど、異性に異性と思われるのがだめらしく、うまくいかなかった。

 

わたしが好きなのか、女の子が好きなのか、わからないのが嫌で、女の子が好きならわたしじゃなくてもいいじゃないあなたが見てるのはわたしじゃないよわたしを通して女の子を見ているだけだよ。

 

とか思ってしまうめんどくさいだめな女の子(笑)なようで、''彼氏を(妥協して)作る''という行為はわたしには向いてなかった。

今はもうあえて作ろうとしていないし、そもそもわたしの世界にはそんな概念など存在しないような頭で生きている。

それはわたしにとってはすっごく快適で、本来生きやすい生き方なんだと思える。

わたしを通して女の子を見ている奴のために、女の子を見せてあげる必要もなく、自分が着たい服を着て、好きなものを自由に選べて、自由な感性で世界を見て生きる。

今はそれが楽しいし幸せなんだと思うし、それでいいと思っているんじゃなくて、それがいいと思ってる。

いずれ考えは変わるかもしれない、ということは言っておく。

言っておかないと変わった時に「あれ?前はこうじゃなかった?」とか、「やっぱりそうなったか~!」とか野暮な責め方をしてくる人がいるから。

 

あなたがあなたのものさしで以て幸せなら、わたしもわたしのものさしで以て幸せなのよ。